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参考資料

参考資料

 

このHPを作成するにあたり多くの文献や史料を参考にしています

参考にした文献・資料

史誌
知念村史、誌・佐敷町史・大里村史・具志頭村史・東風平村史・島尻郡誌・豊見城村史・南風原町史・与那原町史・沖縄県史

資料
「糸満町の遺跡」「沖縄風土記・第2巻糸満町編/4巻」「南城市のグスク」「南城市の御嶽」
「たまぐすくの民話」「琉球史辞典」

著書
「沖縄の城跡」新城 徳祐        「琉球グスク研究」當眞 嗣一 
「26文庫」新垣 孫一         「おもろそうし定本」外間 守善
「北山由来記」東江 朝太郎      「新講沖縄千年史」新屋敷 幸繁
「琉球国の三山統一についての新考察」和田 久徳(お茶の水女子大 紀要)
「おもろさうし全釈」 鳥越 憲三郎 
「組踊研究」 當間 一郎  「沖縄郷土 古典芸能 組踊全集」當間 清弘
「組踊 未生の縁」豊見城市組踊保存実行委員会
他多数あります。今後追記していきます

発掘調査報告類
「グスク分布調査報告書 沖縄本島及び周辺離島」「島添大里城保存管理計画書」
「テミグラグスク-公園整備工事に係る緊急発掘調査報告書-」
「糸満市文化財調査報告書第17集-上里グスクほか発掘調査報告-」
「佐慶グスク、山城古島遺跡-喜屋武道路改良工事に伴う調査報告書-」

用語や人物

分かりづらい用語や人物についての紹介もします

用語

「おもろそうし」:1632年に編纂された歌謡集です。
一般的には「沖縄の万葉集」とも云われますが「万葉集」は歌集であり「おもろそうし」は歌謡集であるのが大きな違いです。
オモロが謡われた時代は部落時代(5〜12世紀)按司時代(12〜15世紀)王国時代(15〜17世紀)分けることができます。
謡われる内容は時代によって異なり部落時代は祭礼、天体賛美など単純で牧歌的な内容で、
按司時代になると城建て、按司礼讃が多くなり、王国時代は王長寿延命、武器等が多くなっていきます。

「天孫氏」:沖縄の開闢後代々沖縄を統治したのが天孫氏と云われています。
沖縄の始まりは「おもろそうし」に詠われているように太陽神が使いの神を天から派遣し国造りをさせ、
人生みをさせたとされており沖縄の人はその神の子孫とされています。
天から派遣された神が「アマミキヨ」「シネリキヨ」で沖縄の祖神でとされています。
その天孫氏が沖縄を統治したのが25代の王が続き18000年も統治したと伝わります

「組踊」:唱え(台詞)、音楽、踊り(所作)によって構成される演劇(歌舞劇)です。
中国(清国)からの冊封使を歓待するため玉城朝薫によって創始され1719年に尚敬王の冊封儀礼の際に
「二童敵討」と「執心鐘入」が初めて演じられています。
琉球古来の故事や芸能を基に歌舞伎・能・狂言・中国の演劇などからヒントを得て組踊を作りました。
組踊はグスク城主(按司)に関することも多く、組踊の中にはグスクの関する伝承も多く描かれています。是非一度鑑賞してください。

「門中」:親族集団に対する呼称でイチムン(一門)ともい云います。
共通の始祖を中心に父系血縁関係で結びつく人々によって構成され子供は父親の門中の成員となります。
門中組織がよく整備されているのが本島中南部で南部には門中構成員が墓を共同で使用している例も多い。
門中の主な機能は墓や門中本家で祀られる始祖や遠祖に対する祖先祭祀です。
4月頃の清明祭には沖縄本島の至る所で墓に門中の成員が集まり先祖を拝んでいます。
知らない方がみるとピクニックのようにも見えるのかもしれません。

人物

「ジョージ・H・カー」:1911〜1992.アメリカ生まれで中国や日本について学び台湾で教鞭をとり早くから台湾研究に取組みました。
戦後は沖縄の合衆国民政府のルイス准将から沖縄歴史の概要報告書の依頼をうけます。
カーは沖縄本島及び周辺離島を調査団を組み225のグスクを調査しています。
調査の際表面採集された遺物2万点以上になり全て県立博物館へ寄贈されています。



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